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岡山地方裁判所 平成6年(わ)614号 判決 1995年12月18日

主文

被告人は無罪。

理由

第一犯罪事実について

本件公訴事実は、「被告人は、岡山県倉敷市《番地省略》所在のB所有にかかる「甲野アパート」東棟(木造モルタル瓦葺二階建、合計八室・延べ床面積約二九六平方メートル)の二階九号室に単身居住していたものであるが、自室に放火して焼身自殺を企て、平成六年一一月一〇日午後四時三〇分ころ、同室において、台所、四・五畳間、六畳間にそれぞれ灯油合計約一四リットルを撒いた上、新聞紙にガス着火器で点火してこれを右台所に放り投げて放火し、同台所の床板等に燃え移らせ、よって、同室のほかCらが現に住居に使用する右アパートの二階二室及び一階一室(延べ床面積約一一六平方メートル)を焼燬したものである。」というのであり、被告人が右公訴事実記載のような行為を行ったことは、取調済みの関係各証拠によりこれを認めることができる。

第二責任能力について

弁護人は、被告人が精神分裂病に罹患し、本件犯行当時、心神喪失の状態にあったと主張するので、以下のとおり、検討する。

一  関係各証拠によれば、被告人の生活歴及び病歴は以下のとおりである。

1  被告人は、昭和四一年、父・D夫及び母・E子の長男として、倉敷市内に生まれた。父・D夫は再婚であり、前妻との間には二人の子(被告人の異母兄二人)を、後妻のE子との間には、被告人ら五人の子(被告人の姉一人、被告人、妹一人、弟二人)をもうけた。母・E子は、昭和五四年、被告人が同市内の中学校在学中に死亡した。

2  昭和五九年三月、被告人は、倉敷市内の高等学校を卒業し、会社勤めを経て、間もなく、海上自衛隊に入隊した。昭和六〇年二月ころ、被告人は、艦上で作業中に頭部を打撲して、意識障害を起こし、幻覚妄想が発症し、横須賀市内の藤沢病院に入院した。同病院で精神分裂病と診断された。

3  同病院退院後、被告人は倉敷市に戻り、父と共に生活したが、幻覚妄想がおさまらず、昭和六〇年五月、乙山病院精神科を受診し、通院した。その後一時通院を中断したが、昭和六一年八月、同症状が再発したので、被告人は、再度、同病院で受診し、入院治療のため、丙川病院を紹介された。

4  以後、被告人は、一〇回にわたり、丙川病院等に短期入院を繰り返すとともに、その間は乙山病院等の地元の病院に通院し、精神科の治療を継続して受けた。その経過は次のとおりである。

(一) 昭和六一年一〇月六日から同年一一月一六日まで、丙川病院に入院(第一回)

(二) 昭和六二年五月二六日から同六三年六月一八日まで、肺結核のため、国立丁原病院に入院し、あわせて精神科の治療を受けた。

同病院に入院中の昭和六二年一一月二三日、被告人は、自殺を企て、同病院の窓から飛び下りたため、骨盤・左踵骨骨折をし、歩行障害・尿失禁の後遺症が残った。(被告人は、動機につき、鑑定人に対し、大相撲で千代の富士が優勝し、観客が騒ぐのが怖かったように述べている。)

(三) 平成元年一〇月一二日から同月一六日まで、丙川病院に入院(第二回)

(四) 平成二年六月二五日から同月二九日まで、同病院に入院(第三回)

(五) 平成四年二月二〇日から同年四月一日まで、同病院に入院(第四回)

(六) 平成四年五月一五日から同年五月三〇日まで、同病院に入院(第五回)

(七) 平成四年七月三日から同年八月五日まで、同病院に入院(第六回)

(八) 平成四年八月二五日から同年九月四日まで、同病院に入院(第七回)

(九) 平成五年一月七日から同年一月三〇日まで、同病院に入院(第八回)

(一〇) 平成六年一〇月八日から同年一一月八日まで、同病院に入院(第九回)

なお、被告人が鑑定人に述べたところによると、前記の飛び下り自殺企図の後にも、被告人は、「死んでしまえ」との声が聴こえて剃刀で手首を切った、睡眠薬を多量に飲んだという方法で自殺を企てたことがある。

5  以上のとおり、被告人の病歴については、昭和六〇年に精神分裂病に罹患して幻聴を中心とする幻覚症状が発症し、以後、自分の意思により入通院を繰り返しつつ、精神科の治療を受け続けた(この間、被告人は症状が重くなると入院し、軽くなると退院し、通院をしていた。)ものの、幻聴を中心とする精神症状は、ほぼ一〇年にわたり継続し、寛解に至ってはいない。

被告人は、平成四年ころ、父が家出をしたため、姉が保証人となって、肩書地のアパート一室を借りて一人暮らしを開始したが、精神症状及び歩行障害等により、就労が困難であったことから、障害年金及び生活保護費を受給して自閉的な生活を続けてきた。

二  ところで、精神分裂病者の責任能力については、犯人が精神分裂病に罹患していたからといって、そのことだけで直ちに心身喪失の状態にあったとされるものではなく、責任能力の有無・程度は、犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して判定すべきである。

以下、これに従って順次、検討していく。

三  被告人の病状についての医師の意見は、次のとおりである。

1  F(丙川病院医師)の司法巡査に対する供述調書

Aさんは、分裂病としては、好、不調の波が小さいタイプで、極端に悪くならないが、完全に治りきらない病状でした。幻聴や妄想も訴えていたが、攻撃的なものでなく、自分の思っていること、やっていることに「そうだ、そうだ」と干渉する声が聞こえ、煩わしくなるというものだった。Aさんは、幻覚に従って行動するタイプでなく、性格的にも良く、乱暴なふるまいをしたことはありません。また、本人から「死にたい」等と聞いたことは一度もありません。Aさんに家族がいれば、また周りに助ける人がいれば、自殺をはかるようなことは無かったと思います。

2  医師村上伸治作成の簡易鑑定書

被疑者は分裂病にかかっており、幻聴も認められる状態であった。

3  医師狭間秀文作成の鑑定書、同人の公判廷の供述(以下、鑑定書と供述を合わせて「狭間鑑定」という)

(一) 家族歴の中で注目されるのは被告人の兄が分裂病に罹患していた可能性があり、飛び下り自殺を遂げたこと、母の性格が非社交的、易興奮性など精神医学的には分裂気質をうかがわせる点である。

(二) 被告人の病前性格は分裂病性格と考えられる。このため、対人上さまざまな問題があり、自閉的な生活を送ることになった。この性格傾向は一部は母親ゆずりのものであり、その他は環境によって形成されたものと思われるものもある。

(三) 被告人は身体的現在症において、精神症状を惹起するような特記すべき異常所見を有していない。また、心理検査においても特に知的障害を推測されるほどの所見はない。

(四) 被告人には精神分裂病の症状(幻聴、体感幻覚、離人症、幻聴との関係による関係妄想、連合弛緩などの陽性症状、自閉症、感情障害などの陰性症状)が多彩に備わっている。発病して一〇年を経過するも、さほど改善されてなく、感情鈍麻、連合弛緩等の基本症状が進行しており、社会適応上、多くの問題点を持っており、精神障害の中で閉ざされた生活に追い込まれている。被告人の病前の性格、発病年齢とその後の経過、現在の症状等によると、被告人は破瓜型の分裂病と考えられ、右の事情によると症状の程度は、重度、少なくとも中等度であると考える。

(五) 被告人は、各種の精神症状、特に幻聴に悩まされ、その内容が自己の存在と生活をけなすものが多く、そのため自己の生存を否定する観念が常に気持ちの低面にあり、日頃から、幻聴がするくらいなら死んだ方がましだ、自分は嫌われている、死ななければいけないとか、死ねば幻聴も追いかけてこないとか考えるようになっており(自殺念慮)、これに妄想気分など他の症状が加わったりすると、自己制御を失い、自殺企図に及ぶことがあった。

(六) 被告人には、分裂病の諸症状を背景に、幻聴の外、妄想気分等が加わると、外見上比較的些細な外界の状況に促されて危機感、破局感を生じ、衝動的に自己破壊行動に及びやすい傾向があると窺われる。

(七) 被告人は犯行前後の自己の行動を詳細に語ることができ、この供述は、関係証人の供述とほぼ一致しているから、犯行当時、被告人に意識障害があったとは考えられない。

(八) 被告人は現在もなお、幻聴、被害関係妄想、感情鈍麻、連合弛緩等の症状を有している。

四  関係各証拠によれば、被告人の本件犯行の経緯及び犯行前後の状況は、以下のとおりである。

1  被告人は、本件犯行の直前、身体が疲労し幻聴が悪化したことにより、平成六年一〇月八日から同年一一月八日まで、前述のとおり、丙川病院に入院(第九回)した。投薬により症状が落ち着いたと感じた被告人は、一一月八日午前一一時ころ、乙山病院への紹介状と精神安定剤・睡眠薬を持って、同病院を退院し、アパート自室に帰った。

2  被告人は、退院したものの、所持金が一〇〇円しかなく、倉敷社会福祉事務所の被告人担当のケースワーカーに生活保護費を支給してほしい旨電話で催促したが、同月一四日の月曜日まで待ってほしいとの返事であった。このため、被告人は、昼と夜は自室で入院前に買い置きしていた米を炊き、御飯に塩をふりかけて食べた。被告人はビールを飲みたかったが、買えないので、喉が乾いた食事と食事の間にビールの代わりのつもりで水をがぶ飲みした。退院後も幻聴が続き、被告人は、退院時に渡された薬を服用した。

3  一一月九日、被告人は、一日、外出せず、朝・昼・晩と御飯に塩をふりかけて食べた。同日午前中、被告人は、寒さを覚えたので灯油二缶(各一八リットル入り)を注文し、昼ころ配達してもらった。この日も、被告人は、倉敷社会福祉事務所に生活保護費支給の催促の電話を掛けた。被告人は、水のがぶ飲みを続けたためか腹痛を覚えた。また、前日に続いて幻聴があり、退院時に渡された薬を服用した。

4  一一月一〇日、被告人は、朝、塩をふりかけた御飯を食べ、午前一〇時三〇分過ぎ、水島信用金庫羽島支店に行き、自分名義の預金口座から残高四六円全額を引き出した。その帰りに、被告人は、通行人に声を掛けて、五〇〇円硬貨一枚を貰い、所持金一四六円とあわせて、昼前に自宅近くでビール一リットル缶一本を買って自室に戻った。自室に戻った被告人は、右ビールを一気に飲み干したが、酔わなかった。午後二時からラジオの英語番組を聞き、午後三時三〇分ころ、夕食のことを考えている内に、幻聴が激しくなり、また、お金がないため生活の不安にかられた。

5  退院後の幻聴として被告人の供述する内容は次のようなものである。

(一) 冷蔵庫を開けようとしたり、テレビのスイッチを入れようとしたり、ストーブの火をつけようとすると、女の声で「いや」とか「もう遊びに来ないで」などと聴こえた。

(二) 水を飲もうかなと思うと、男の声で「飲め飲め」とか、逆に「飲んだら太るぞ」と聴こえ、飯を食おうかなと思ったとき、男の声で「お前の食う飯はない」と聴こえた。

(三) 食事をしようとしたり、風呂に入ろうとしたり、夜、寝ようとしたとき、男の声で「皆に迷惑をかけているから謝れ」と聴こえた。

(四) 一人でボーッとしているとき、男の声で「坊主が出てきて食う」と聴こえた。

6  以上のような経過の中で、被告人は、そのころ、焼身自殺を決意し、その際、焼け死ぬ時には眠り込んでいた方が楽に死ぬことができると考え、丙川病院から貰っていた睡眠薬等を三日分飲んだ上、本件犯行に及んだ。被告人は、台所の床、それに続く四畳半間及び六畳間の畳の上に灯油を撒き、六畳間に布団を敷き、外部から見られて通報されないように六畳間の窓を締めた。そして、ガス着火器で台所の灯油に直接点火しようとしたができなかったので、新聞紙に点火してそれを台所に放り投げ、数回失敗した後にようやく着火し、床が燃え上がった。

7  その後、被告人は六畳間の布団の中にもぐり込んだが、煙が部屋全体に充満したため、これでは部屋に空気が入らず火が消えてしまうと思い、六畳間の窓を開けて、再び布団の中にもぐり込んだ。しかしながら、被告人は、煙を吸っているうちに、息苦しくてたまらなくなり、これではとても死にきれない、逃げようと思い直し、開いていた六畳間の窓から一階庇等を伝って地面に飛び降りた。そして、被告人は、アパート前に座っているところを警察官に発見され、現行犯人として逮捕された。

五  被告人は、本件犯行の動機について、以下のとおり、供述している。

1  被告人の司法警察員に対する平成六年一一月一〇日付け調書

頭の病気以外に足が悪くて保護を受けている訳ですが、今日は自殺するために火をつけたのです。一昨日退院したものの生活費がなく、福祉事務所が来週の月曜日まで待てというので途方に暮れ、死んでやろうと思いました。

2  被告人の司法警察員に対する平成六年一一月一一日付け調書

ラジオの番組が終わる午後三時三〇分頃になって晩めしの支度を考えたのです。身体の具合も一〇のうち七までが悪い状態で、幻聴がしてきたのです。

私は、腹は減ったけれど、塩御飯は欲しくない。水を飲み過ぎて腹も痛い。腹が減ったのは直しようがない。月曜日にならなければお金も入らない。周りの人は、「死ね」と言ってるし、本当に死ななければ直らん、と不安になってしまいました。

そして本当に、死んでやろうという気持ちになったのです。私は、部屋に火を点けて焼け死んでやろうと思いました。他の死に方は考えませんでした。

3  被告人の司法警察員に対する平成六年一一月二八日付け調書

幻聴がある事自体、私は、いやでいやで仕方がないのに、それが私に対する悪口としか理解出来ない訳です。

私は、この幻聴が嫌で、三年位前から幻聴がする位なら死んだ方がましと思っていました。

4  被告人の司法警察員に対する平成六年一一月二九日付け調書

英語の番組が終わった後、奥六畳間で夕食の事を考えていました。

私は、腹は減ったけれど、もう塩をかけた御飯は欲しくない、おかずやビールを買うお金もないと思い、幻聴が止まらず、近所の人は自分のことを悪く見ていると思うと、これ以上生きているのが嫌になり、こうなったら部屋に火を点けて死ぬしかない、死んでしまえば、幻聴もあの世まで追い駆けてこず、楽になると思ったのです。

そのときには、アパートの自室に火を点け焼け死ぬしかないと決心したのです。

5  被告人の検察官察員に対する平成六年一一月二九日付け調書

一一月一〇日の午後の英語のラジオ番組が終わってから、私は奥六畳間の部屋で、その夜の夕食の支度のことを考え始めましたが、考えている内、腹は減ったけれど、もう塩ご飯は食べたくない、晩のおかずもない、夜飲むお酒もない、お金もないと思い、さらに、幻聴が止まらない、世間の人が皆、自分の悪口を言っていると思うと苦しくてたまらず、もうこうなったら部屋に火をつけて焼け死んでやろう、声の主も燃やしてやれ、そうすれば楽になれると決心しました。理由は言えませんが、その時は焼身自殺以外のことは考えませんでした。

6  第二回公判調書における被告人の供述

(問) 本件犯行の動機は警察、検察庁でしゃべったとおりですか。

(答) はい。でも記憶がほとんどないのです。

(問) 将来をはかなんで自殺しようと思ったことは間違いないのですか。

(答) はい。

(問) 病院を出て二日目で、お金がなくておかずが買えず、ビールを飲みたくても買えず、生きていくのが嫌になって本件事件を起こしたということですか。

(答) はい。夢だからいいだろうという感じでした。

7  以上、要するに、被告人の供述によれば、本件犯行の動機は、被告人においてかねて幻聴から逃れるため死にたいと考えていたところ、退院して二日後、幻聴等の症状の出る中で、生活に行き詰まったと受け止め、いよいよ生きることが嫌になって自殺を図ったということが認められる。

六  右のとおり、被告人の本件犯行の動機は、幻聴ないし妄想それ自体に支配されて焼身自殺を図ったというものではなく、幻聴及び生活不安からの逃避にあったと解することができ、それだけを捉えると、一応了解可能であるということができる。(ただ、幻聴は主たる症状そのものであるから、幻聴からの逃避は、生活不安からの逃避に比べ、精神分裂病の影響が強いものといえよう。)

そして、前記の被告人が自殺を決意した後の行動には、特に不合理、不自然と思われるものはない。

七  そこで、右の諸事情をもとに被告人の責任能力について検討する。

1  検察官は、被告人の病状が軽度であること、犯行の動機が了解可能であり、犯行の状況が合理的であること、犯行前後の行動に不合理な点がないこと等を根拠に、被告人に完全責任能力があったと主張する。

2  被告人の犯行当時の精神状態についての医師の意見は次のとおりである。

医師村上伸治作成の簡易鑑定書は、「被告人は分裂病にかかっており、幻聴も認められるが、犯行は病的な症状が直接の原因ではなく、犯行の動機の主因は今後の衣食住に対する強い不安であった。それまで続いた精神病者としての精神的に不安定で、そして経済的にも不安定で最低レベルの生活を続ける事に絶望し、今日食べる食料もないという状況でやけを起こし、やや発作的に自室に放火しての自殺を思い立った。そして若干の思考障害と情動の不安定さのため、放火への配慮ができなかったものである。本件犯行当時の被疑者は、自己の行動の是非善悪を弁別し、その弁別に従って行動する能力が、軽度に減弱していたと結論できる。」としている。

狭間鑑定は、「被告人は、前記の病状のとおり犯行当時重度の精神分裂病に罹患しており、犯行の動機及びその心理的脈絡については、正常の心理に比べ、極端に短絡的といえる。すなわち、被告人が当面した生活上の困難は、正常人であれば、さほど大きい困難と思われない状況であるにも拘わらず、対応に困惑し、厭世感を促し、かねて潜在していた自殺念慮を急速に呼び覚まし、また自殺を決意するや、その重大性、他への影響について検討しないまま、ためらいもなく実行されているのであって、被告人は、幻聴、被害関係妄想に対する苦悩や分裂病性思考障害などが基礎となり、それに生活上の困難が加わったことにより、現実検討能力が低下し、目前の事象に対してしか思考を巡らせることができなくなったため、それに絶望し、犯行に及んだものと考えられる。被告人は、本件犯行当時事物の理非善悪を弁別し、その弁別に従って行動する能力が欠如していたと鑑定する。」としている。

3  たしかに、本件の動機がそれだけを捉えれば一応了解可能であり、犯行状況が不合理でないことは、前記のとおりである。

しかしながら、被告人の幻聴は精神分裂病の主たる症状であり、生活不安も分裂病及び身体障害による就労困難に起因するものであるところ、被告人の精神分裂病は、ほぼ一〇年にわたり入退院を繰り返しながらも寛解に至らず、このため、被告人は、かねてより幻聴を苦にして自殺念慮を抱いており、昭和六二年には投身自殺を、その後に手首を切ったり睡眠薬を多量に飲んで自殺を企てたこと、並びに本件犯行直前の退院も被告人の意思によるものであって、もとより病気が寛解に至ったからではないこと、現に退院後も被告人の幻聴が続き(被告人の症状が幻聴のみに留まらないことは前記のとおりである。)、自閉的な一人暮らしの中で生活に不安を感じざるをえない状況にあったことを考慮すれば、本件の動機は被告人の精神分裂病に極めて密接な関連があるものといわざるをえない。

このような状況において、被告人は、焼身自殺を企て、本件犯行に及んだものであるが、被告人の生活状況を具体的に検討すると、被告人が苦にしていた幻聴については、これまで被告人が対応してきたように、丙川病院へ再入院して治療を受けるという方法があり、これまでも被告人は自分の意思により症状が重くなると入院していたこと、また生活不安については、被告人の申請により、生活保護費が一一月一四日に支給される予定になっており、被告人自身、これをケースワーカーに確認していたことに照らせば、犯行当時、被告人において自殺を決意するほどの切迫した事情があったと認めるに足りず、動機において、極めて衝動的、短絡的ということができる。

そして、精神分裂病においては、知的障害がなく常識の有無とは結びつかず、通常の会話では意思の疎通が十分保たれる例が多いこと、日常の生活が安定しているときは、かなり適応した行動をとれるが、ちょっとした困難に出合うと適応できなくなること、被告人は、放火が悪いことは判っているが、自分の行為が他人にどれだけ迷惑をかけるかについて配慮がなく、事後にもその実感に乏しいこと、被告人の焼身自殺は、かねてより抱いていた自殺念慮に、現実の生活に対する不安感、厭世感等が重なり、離人症等の分裂病の症状も影響して、瞬間的に決意されたものとみられ、分裂病の症状による影響と生活不安による影響を分離して捉えるのは困難である等の狭間鑑定の指摘(これを否定する証拠はない)を考慮すると、右の動機の背景には分裂病の諸症状があり、強く影響を与えたものとみることができる。

さらに、被告人は焼身自殺を思いつくや、直ちに自室に灯油を撒いてこれに着火しているが、その際、近隣の住民や公共の危険について思いを至らせたり、犯行を躊躇した形跡がなく、これによれば犯行の態様・方法においても、極めて短絡的であるうえ、思考障害、感情障害などの症状が影響していることが明らかである。

したがって、本件犯行は、被告人の精神分裂病の影響により、自閉的な生活状況において、形成された強い自殺念慮に基づきなされたものであり、動機においても、態様・方法においても、健全な社会通念によれば理解し難い短絡性を有するということができる。

そうすると、被告人がかねて有していた自殺念慮に生活不安や他の症状が重なって強く、かつ瞬間的に影響し、あるいは厭世感と容易に結びつく等の経緯により、瞬間的に自殺を決意したと考えられる旨の狭間鑑定は合理的であり、少なくとも不合理とはいえない。(なお、狭間鑑定は、被告人の精神状態を合理的かつ明確に説明しているのに対し、F医師の供述部分及び村上医師の簡易鑑定結果によっては、被告人の自殺念慮や本件犯行のこのような動機及び態様・方法の短絡性を十分説明し難いばかりか、そもそも被告人が焼身自殺を企て本件犯行に及んだ経緯を明らかにし難いというべきであるから、狭間鑑定の信用性を低下させる資料とはいえない。)

八  以上をまとめて、検討する。

被告人は、昭和六〇年に精神分裂病に罹患し、以後、幻聴を中心とする多くの精神症状を有し、ほぼ一〇年間にわたり入退院を繰り返したものの、寛解に至らず、このため、自閉的生活に追い込まれていたもので、その病状は軽度とはいえず、中度以上とみるのが相当である。そして、被告人は、幻聴等の症状を苦にして強い自殺念慮を有し、昭和六二年には入院中の病院から投身自殺を図り、その後にも自殺を図っている。被告人は、就労困難のため障害年金及び生活保護に依存しながら、アパートの一室で一人暮らしをしていたところ、平成六年一〇月八日から同年一一月八日まで、自分の意思により、幻聴等を理由に、丙川病院に九回目の入院をしたが、退院後も依然として幻聴等の精神症状を有しており、適切な指導援助のない自閉的な生活状況の中で、所持金がないため、食事も困難となって、かねての自殺念慮を募らせ、幻聴及び生活不安から逃れるため、短絡的に焼身自殺を企て、自室に灯油を撒いて放火し、本件犯行に及んだものである。本件犯行の動機は、幻覚妄想に支配されたものではなく、幻聴及び生活苦から逃れるため自殺することであり、それだけを捉えれば一応了解可能であり、犯行の態様は一応合理的であるということができる。

しかしながら、その動機の背景には、精神分裂病による幻聴等の精神症状を苦にした被告人の自殺念慮があること、かつ、本件犯行当時、被告人は再入院が可能であり、かつ生活保護費が近く支給される予定であったことに鑑みれば、その動機は極めて短絡的であり、その犯行の態様・方法も、これによってもたらされる公共の危険に対する配慮を欠いており、極めて短絡的なものであって、分裂病の病状に強く影響されたものと見るのが相当である。

これらの事情を考慮すると、本件は、被告人が有していた自殺念慮に生活不安が重なり、他の症状と相まって、これらの強い影響のもとに、現実に対応できないまま、瞬間的に焼身自殺を決意し、直ちに実行したとの推論を否定できない。

そうすると、被告人が本件犯行当時、是非善悪を弁別し、その弁別に従って行動する能力を有していたと認めるについては疑問がないとはいえない。

九  以上のとおりであり、被告人は、本件犯行当時、精神分裂病に罹患していて、事物の是非善悪を弁別する能力又はその弁別に従って行動する能力を欠く状態にあったとの疑いを払拭できない。

第三結論

以上の次第で、被告人の本件行為は、心身喪失者の行為として罪にならないから、刑事訴訟法三三六条前段により無罪の言渡をする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷岡武教 裁判官 市川昇 藤原道子)

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